【世界遺産をもっと楽しむ】日光の社寺編

世界遺産

 Hisaです。私は世界遺産検定2級を持っており、現在1級の取得を目指し勉強しています。そんな私が世界遺産を一つずつ紹介していきます。

 今週は栃木の「日光の社寺」を扱います!!

遺産概要

 皆さんは「日光」にどんなイメージを持っているでしょうか。全然知らないという人もいれば、「日光東照宮」、「三猿」あたりは聞いたことがあるという人も多そうです。また、「徳川家康」のイメージを持つ人も多そうです。かくいう私も日光と聞いても何県にあるのかさえもわからず、日光東照宮くらいは聞いたことがあるという程度でした。しかし、「日光の社寺」は世界遺産に登録されるほど文化的には重要な役割を果たしています。では、日光について詳しく見ていきましょう。

 日光は1999年に文化遺産に登録されました。構成遺産としては、「東照宮」はもちろんですが、それに加えて「二荒山神社」、「輪王寺」を含めた二社一寺に属する建造物が対象になっています。

 日光は簡潔に言うと、勝道上人が日光山を開山した8世紀末以降、約1200年にわたって発展してきた日本有数の霊場となっています。ちなみに、勝道上人は日本独自の宗教、信仰形態である修験道の高僧です。

 日本の信仰の代表的なものとして「山岳信仰」があります。日光もその一つで、古くから山岳信仰の聖地となっていた自然景観が広がります。

 そして、日光の一番の特徴は、「日本特有の様々な信仰形態が混在している」という点です。先ほどの山岳信仰に加えて、神道や仏教、その2つが混ざった「神仏習合」の思想、山岳信仰と仏教が結びついた修験道、亡くなった偉人を神として祀る「人物神」。これらが混在している宗教的霊場が日光なのです。

評価された点

 世界遺産には登録基準というものがあるのですが、日光が評価された登録基準が3つあります。1つ目は、登録基準(ⅰ)の「人類の創造的資質や人間の才能を示す遺産」です。日光にある建造物は優れた芸術家の手により作られ、高い芸術性をもつと評価されているようです。

 2つ目は、登録基準(ⅳ)の「建築様式や建築技術、科学技術の発展段階を示す遺産」です。東照宮や輪王寺大猷院は、日本の権現造り様式を完成させた建造物であり、その後の霊廟建築や神社建築の規範となっています。また、東照宮の建造物にみられる、神格化した自然環境を背景にその前面の傾斜面に社殿を位置する配置は、日本の神社における代表的な景観構成の在り方を示しています。

 3つ目は、登録基準(ⅵ)の「人類の歴史上の出来事や伝統、宗教、芸術などと強く結びつく遺産」です。徳川家康の霊廟が存在するという点で江戸時代を代表する史跡の一つといえる日光。周囲の自然環境と日本の宗教、信仰が混ざり合った貴重な遺産になっています。

歴史

 日光山の周辺は古くから山岳信仰の聖地でした。そんな中、784年に男体山に登頂した勝道上人が寺院を建立し日光山を開山しました。12世紀には堂社の創建が盛んに行われ、霊山としての整備が進んでいきました。しかし、戦国時代に入ると日光山を中心とした信仰は次第に衰退してしまいます。

 江戸時代に入ると、徳川家康の側近であった僧である天海が日光の再興に着手しました。家康が亡くなると、遺体は日光に葬られ、翌年にはその霊廟である「東照宮」ができます。そして、1634年には「寛永の大造替」とよばれる大改修が実施されました。明治時代には、「神仏分離令」によって日光山周辺の社寺は「二社一寺」に分離され、いくつかの建造物が移設されました。

構成遺産

 日光の構成資産は大きく分けて、東照宮、二荒山神社、輪王寺の3つです。

 東照宮は1616年に創設された徳川家康の霊廟です。総敷地面積は4万9000平方メートルで、本殿と拝殿の間を石の間で結ぶ東照宮本社にみられる様式は、「権現造」の完成形とされています。

 二荒山神社は、山岳信仰が隆盛期を迎えた中世以降、その中心地として整備されました。また、「二荒山大神」とも称される祭神も存在します。

 輪王寺は766年に勝道上人が創設した「四本龍寺」を起源とする寺院です。神仏習合の基本理念である本地垂迹説では、三仏堂にまつられる千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音と二荒山大神は同一の存在と考えられています。

以上で日光の紹介を終わります。栃木に近い方は是非一度行ってみてください!!

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